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ブログ/2009-08-24

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2009年の今日、瀧廉太郎の生誕130周年記念日!

明治時代、日本人作曲家による初めてのオリジナル歌曲を披露した先駆者!!

瀧廉太郎の立像
  • 1879年(明治12年)8月の今日、現在の東京都港区西新橋2丁目に出生した。
    15歳で東京音楽学校(現:東京藝術大学)に入学。その後瀧は、作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていきました。
  • 明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語の訳詞を無理にはめこんだぎこちない歌が多く
    日本人作曲家によるオリジナルの歌曲を望む声が高まっていた。

    それに応えるように瀧は、最も早くその要望を実現した。
    彼の代表作である「荒城の月」は「箱根八里」と並んで文科省編纂の中学唱歌に掲載された。
  • 世界に羽ばたかんとしてドイツに留学するもその2年後にわずか23歳で逝去する。

今でも歌い継がれる「荒城の月」~ベルギーで讃美歌に~

  • 人気の高い曲の一つである「花」は1900年8月に作曲された4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。
    また、「お正月」「鳩ぽっぽ」「雪やこんこ」などは、日本生まれの最も古い童謡作品として有名だ。

    そして「荒城の月」はベルギーで讃美歌にもなったことが後に判明した。
  • 1901年4月、日本人音楽家としては2人目となるドイツのライプツィヒ音楽院に留学する。まだ21歳のときだった。
    もし健康で生きていたならば、間違いなく世界的な音楽家の1人となったことだろう。

    運命は皮肉にも、留学してわずか2か月後に肺結核を発病し、1年で帰国を余儀なくされる。
    その後、父の故郷である大分市府内町の自宅で静養していたが、1903年6月29日死去。わずか23歳の生涯であった。
  • 短い生涯の中でも瀧廉太郎の功績は、今も日本ないし世界に光っている。そして歌い継がれている。

    大分県では、竹田市の豊後竹田駅において、列車が到着する際の接近メロデイとして歌詞付の「荒城の月」が流れる。

    また岡城の下を走る国道502号線の上り車線にはメロディ舗装がなされた区間があり、車が通過すると荒城の月のメロディが聞こえるようになっている。
  • 人間、長く生きれば何か成し遂げれるということだけではないようです。
    こんなことを言うと高齢者に叱られるかも知れないが、
    大事なことは、どう生きるかではなく、どう生き抜いたかなのかも知れません。

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