温故知新、論語、九思一言、天子の声、孔子、歴史上の出来事、歴史上の人物、歴史上の事件、歴史上の災害、

温故知新! 昔のトピックスで今を学ぼう!!

ブログ/2009-11-02

Top / ブログ / 2009-11-02

1942年の今日、詩人・童謡作家の北原白秋逝く(没後67年)

幼き頃、母から子守唄で聞いた多くの童謡は今も歌い継がれている!

北原白秋
  • 1885年1月25日に熊本の南関に生まれた北原白秋(本名隆吉)は
    日本の詩人、童謡作家、歌人である。

    生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、
    さらに「ちゃっきり節」「松島音頭」などの新民謡の分野にも傑作を残した。
  • 私も幼い頃によく母から子守唄に童謡を聞いた覚えがあります。おそらく、多くの方が体験されていることと思います。
    • 揺り籠のうたをカナリヤが歌うよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。で始まる「ゆりかごの歌」
    • からたちの花が咲いたよ、白い白い花が咲いたよ。で始まる「からたちの花」
    • 雪のふる夜はたのしいペチカ、ペチカ燃えろよ、お話ししましょ。で始まる「ペチカ」
    • この道はいつか来た道、ああそうだよ、あかしやの花が咲いてる。で始まる「この道」などなど。
  • こんなきれいな心に残る詩を作る白秋も、二度の離婚を経験し、
    ある時は不運というのか軽率というのか、姦通罪で逮捕されたりと波乱万丈の人生を送り、

    50歳の時に、糖尿病と腎臓病の合併症のために眼底出血を引き起こして入院。
    それがもとで、1942年11月2日逝去。享年57歳でした。

初の歌集『桐の花』誕生にまつわる事件~白秋の生涯で最も苦しんだ時期~

  • 19歳で早稲田大学英文科予科に入学するため柳川市から上京した白秋は、翌20歳の頃から早くも新進詩人として注目されるようになる。

    しかし25歳で発表した詩『おかる勘平』が風俗紊乱に当たるとされ発禁処分を受けた。
    実はこの年に生涯の最も苦しむ原因となる松下俊子の隣家に転居したのだ。
  • その後白秋は隣家にいた松下俊子と恋に落ちたが、その俊子は夫と別居中の人妻であった。
    二人は夫から姦通罪により告訴され、白秋は市ヶ谷の未決監獄に収監されてしまったのだ。

    運悪くというか、軽率というか・・・・
    2週間後、弟らの尽力により釈放され1か月後には和解が成立して告訴は取り上げられた。

    この間、白秋は非常に苦しんでいた。一時は発狂寸前まで追い込まれ、憂悶のあまりらふらふと木更津あたりをさまよいもしている。
    北原白秋のスケッチ
  • 実は、このような状況下で詠んだのが『桐の花』の哀傷を誘う短歌群と言われている。
    白秋はこれらの歌を詠んで三浦海岸に渡り、死を決意したほどであったのだ。
    まさにその短歌は、花の薄い咲き方、そしてはかない散り方を31文字の言葉に託しているのだ。

    以下に、そのいくつかを紹介したい。
    • いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみの
      ちりそめぬれば五月(さつき)はきたる
    • 廃(すた)れたる園に踏み入りたんぽぽの
      白きを踏めば春たけにける
    • 桐の花ことにかはゆき半玉(はんぎょく)の
      泣かまほしさにあゆむ雨かな
    • 君と見て一期の別れする時も
      ダリヤは紅しダリヤは紅し
    • 男泣きに泣かむとすればリンドウが
      わが足もとに光りて居たり
  • このような厳しい時代もあったが、3度目の結婚でやっと生涯の伴侶を得ている。しかも2人の子供にも恵まれ、やっと人間らしい生活を送れるようになったのではないだろうか。
    それは白秋の34歳の時であった。

    白秋は47歳の時に『白秋全集』を完結している。

    白秋は多くの詩集、歌集、数々の童謡の作詞もしているが、一方で多くの校歌・応援歌も作詞している。

    例えば東大の運動会歌(準校歌)や武蔵野美術大学校歌の作詞をはじめ、
    特に作曲家・山田耕筰とのタイアップで作った校歌も多い。

    例えば、同志社大学歌や大正大学校歌、関西学院大学校歌、駒澤大学校歌などであり、更に高校や小学校の校歌まで作詞している。

    いかに、全国各地から白秋の詩的才能を認め、かつ、永遠に残る校歌等の作詞を依頼したかがよく分かるのだ。
  • 白秋が子供時代を過ごした実家のある柳川市には「北原白秋記念館」が実家の裏庭に隣接して設置されており
    白秋生誕100年に当たる1985年に開館され、九州ツアーの観光コースにも入っている。

    いずれにしても、19世紀から20世紀にかけての近代日本を代表する詩人であったといえよう。

元に戻る



コメント


認証コード(9887)

powered by Quick Homepage Maker 4.18
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional