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ブログ/2009-11-18

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1904年の今日、日本人の心のふるさと”古賀メロディー”誕生~生誕105年~

昭和の国民的作曲家、古賀政男
  • 1904年(明治37年)11月18日、福岡県大川市に誕生した古賀政男は、
    昭和期の国民的な作曲家として多くの流行歌をヒットさせた。

    「古賀メロディー」は、戦争中は軟弱な歌として軍部から嫌われたが、一方、戦場では心の安らぎが得られると支持されていたという。

少年時代の苦労の蓄積が曲調ににじみ出たか?!

  • 少年時代に育った地域に水の都・柳川があり、その風景は後に作曲した『誰か故郷を想わざる』のモチーフになったといわれる。

    7歳で父が死亡し、故郷を離れ朝鮮に渡り、感情起伏の激しい少年時代を過ごした。
    故郷喪失の悲しみは『人生の並木道』のモチーフになったとされる。
  • 19歳のときに東京に出て明治大学に入学し、マンドリン倶楽部の創設に参加する。
    1929年、25歳の時に定期演奏会で初めて『影を慕いて』を発表している。

    大学卒業後の27歳の時に、日本コロンビア専属となったが、当初作曲に自信がなく他部署を希望するも果たせず結局、作曲家として契約。

    この時、東京音楽学校(現東京芸術大学)に在籍していた藤山一郎と出会ったことが古賀政男の人生を決定づけることになったという。

    以来、藤山一郎歌唱で『丘を越えて』『酒は涙か溜息か』『影を慕いて』などの大ヒットとともに流行歌王としての立場を不動のものとした。
  • 戦後は1948年(昭和23年)に近江俊郎が歌う『湯の町エレジー』がヒット。
    1965年(昭和40年)に美空ひばりの歌う『柔』が第7回日本レコード大賞を受賞した。

    生涯、5000曲とも言われる作曲活動のかたわら、1959年には日本作曲家協会を創設し、初代会長となった。
    また晩年の1974年(昭和49年)には『広島平和音楽祭』を開催。

    最後まで平和な世界を望みながら、1978年(昭和53年)に永眠。直後の8月4日、国民栄誉賞が贈られている。

古賀政男の人柄を示すエピソード

  • 古賀政男は、人一倍自作への愛着が強く、また感情移入も激しい人であった。

    森進一の『人生の並木道』のレコーディングに立ち会った時には、
    若い頃の苦労を思い出したのか、古賀が思わず泣いてしまったという。
  • 晩年、古賀が色紙によく書いた言葉は『音楽和也』であったという。

    古賀は、自分が作った悲しい歌が歌われなくなる世の中を望み、そして平和な世の中を望んでいた。
    まさにその結実の一つが「広島平和音楽祭」の開催だったと思われます。

    結局、とんな偉大な仕事を成し遂げる方も、平和な社会だからこそ実現できることであり
    真の平和は、近隣地域の安全・平穏・繁栄からであると、多くの識者が指摘しています。

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