ブログ/2010-03-09
1886年の今日、「少年よ大志をいだけ!」のクラーク博士逝去~没後124年~
- ウィリアム・S・クラーク博士は、札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭。
立場は教頭で、名目上は別に校長がいたが、クラークの職名は英語で「President」と表記することを許可されていた。
- クラークがアマースト大学の教授をしていたころ、同大学に在学していたのが後の同志社大学を創立者となる新島襄で初の日本人学生であった。
クラークが米マサチューセッツ農科大学学長の任期中に、新島襄の紹介により、日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9年)7月クラーク50歳のときに札幌農学校に赴任する。
「Boys Be Ambitious」~北海道の広大な大地のように大志をもち、国に尽くせ~
- Boys Be Ambitious(少年よ、大志をいだけ!)との言葉は、8か月の札幌滞在の後、帰国するにあたって、
札幌農学校1期生との別れの際に、札幌郡月寒村島松(現在の北広島市島松)でクラークが発したものである。
その言葉の通り、バンカラ北大生及び卒業生は、広大な北海天地のように大きな志とおおらかさで各地で国家発展のために大きく貢献している。
- もう一点、クラークは札幌農学校の校則について、開拓使長官の黒田清隆に
「この学校に規則はいらない。Be Gentleman で十分である」と進言している。
「紳士であれ!」だけが校則とはいかにも簡潔であるが、それまでの士族の子弟ががんじがらめに徳目に縛られていたため
何をして良いのか、何をしてはいけないのかを自分で判断しなければならないため、自由でありながら厳しいものであったという。
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