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ブログ/2010-03-10

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1928年の今日、「ふうてんの寅さん」こと渥美清生まれる。

ふうてんの寅=渥美清
  • 映画『男はつらいよ』シリーズは私もほとんど劇場で観ましたが、すべて大ヒットとなりました。

    国民、特に働く者にとっての羨望の的であり、逆に気楽で生きていけていいなぁーとか、現実はそんなもんじゃないよなぁと思いながらも
    失恋して落ち込む不器用さに同情しつつ、笑いとともに引き込まれるという、ある意味、不思議な作品でもあったような気がします。
  • 渥美は17歳の頃から一時期、霊岸島枡屋一家に身を寄せ、そこで担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていたが、
    これが後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを生むきっかけになったという。

    1954年、26歳のとき肺結核で右肺を摘出し、2年間の療養生活を送ったが
    復帰後は、酒、タバコ、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰なほどの摂生に努めている。

    1963年、35歳のとき、『拝啓天皇陛下様』で渥美は愛すべき無垢な男を演じ、俳優としての名声を確立するが、
    この時に「男はつらいよ」の構想が練られたという。

なお、続きを見るの最後に映画主題歌『男はつらいよ』の歌となつかしい映画シーンがご覧になれます。

公私混同を極端に嫌い、家族も自宅住所も一切明かさなかった?!

  • 寅さんの演技で見せる愛嬌の良さや闊達さとは対照的に、渥美自身、公私混同を非常に嫌がり
    映画関係者はもとより、親しい友人にも家族も自宅などの連絡先も一切教えず、他社との交わりを避けていたという。例えば、
    • 「男はつらいよ」のロケ先で撮影に協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことはなかった。
    • タクシーで自宅へ送られる際も、自宅からかなり離れた場所で降りて歩くのを常にしていた。
    • 映画関係者ともプライベートで交際することはなく、長年一緒だった山田洋次監督や黒柳徹子、親友の関敬六でさえ自宅も個人的な連絡先も知らなかった。
    • 従って、仕事仲間も友人たちも告別式まで渥美の家族との面識はなかったという。これは、渥美が生前、私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さなかったためという。
    • 渥美の結婚式も家族だけでささやかに済ました。芸能記者の鬼沢慶一だけが有人代表として出席したが、鬼沢はそのことを渥美の死後まで公表することはなかった。
      そのため、他界する数年前まで渥美が独身と思っていたひとが多かった。
    • 長男の田所健太郎がニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に「父田所康雄 職業 俳優」と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていた。
      後に渥美清が彼の父親として来社した際、社内は騒然となったという。
    • 渥美は非常な勉強家であり、評判となった映画や舞台を良く観に行っていた。しかし、「寅さん」とまったく違うスマートなファッションであったため、他の観客らにはほとんど気づかれなかったという。
  • 渥美が役者を目指すようになったのには、ある刑事の言葉があったという。
    刑事は「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」と言われたことが、役者を目指すきっかけとなったという。

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