ブログ/2010-04-11
1986年の今日、ハレー彗星76年ぶりに地球に大接近!!
- ハレー彗星は、約76年周期で地球に接近する短周期彗星のこと。
この彗星が周期彗星であることを初めて明らかにしたのは、イギリスの天文学者エドモンド・ハレー(1656年~1742年)であり、その功績によりこの彗星に彼の名前が付けられた。
1705年に発表された『彗星天文学概論』の中で、ハレーは、この彗星は次回は、1758年に回帰すると予言しています。
彼はこの回帰を見ることなく1742年に84歳で亡くなりますが、1758年12月25日、ドイツのアマチュア天文家のヨハン・ゲオルク・パリッチュがこの彗星を発見し、ハレーの予言が正しかったことを証明しました。
- 1986年の接近は、ハレー彗星の光度が過去の出現時のような明るさに達せず観測には不向きだった。
この彗星が最も明るくなったのは3月から4月にかけて北半球ではほとんど見られなくなった時期だった。
そのため多くのアマチュア天文家が、彗星を一目見ようと南半球へ移動した。
ちなみに次回の回帰は、2061年夏ころといいます。まだ51年先で、小生は間違いなくこの世にいませんが・・・・・
1938年の今日は著名な作曲家・猪俣公章の生まれた日でもあり、その記念に代表曲の一つ『千曲川』(五木ひろし)を「続きを見る」をクリックしてお聞きください。
宇宙探査技術の発達で、ハレー彗星を近接して観測することができた。
- 1986年の回帰では雄大なハレー彗星を見ることができなかったが、宇宙探査技術の進歩によって、ハレー彗星のために数機の探査機が打ち上げられた。
中でも最も華々しく成功したのは、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)のジオットで
ハレー彗星の核へ近接遭遇することができた。
その結果、ハレー彗星の核が推定されていた通りの汚れた雪玉状の組成を持ち、また核の形がひょうたん型であることも分かった。
ハレー彗星にまつわる話題?!
- 紀元前44年に共和政ローマの英雄カエサル(シーザー)が死んだ後、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代に明るい彗星が現れた。
アウグストゥスはこの彗星を養父カエサルの魂とみなし、「カエサルの星」をかたどった貨幣なども鋳造した。
しかし、現在ではこの彗星は紀元前12年のハレー彗星だと考えられている。
- 1910年(明治43年)のハレー彗星の接近の際、地球上の空気が約5分間ほど無くなるといううわさが一部で広まった結果、
- 自転車のチューブを買い占め、チューブ内の空気を吸って一時的な酸素枯渇に備えようとした裕福な者。
- 水を張った桶で息を止める訓練をする者。
- 世界滅亡を憂えて自殺する者、などが現れた。
- しかし、実際にはそのような現象は起こらず、市民の間には大規模な動揺は広まらなかった。
また、この1910年の回帰の時には様々なパニックが世界各地で勃発している。- ローマ法王庁が「贖罪券」を発行したところ、希望者が殺到し手に入れることが出来なかった人が、悲嘆のあまり自殺するという事件が起きた。
- アメリカでは「彗星が持ち込むシアンの毒はこれで大丈夫」と、小麦粉を丸めただけのニセ薬を売って儲けようとした詐欺師が摘発された。
- メキシコでは「処女を生贄にすれば助かる」と信じ込んだ暴徒が女性を襲撃する事件が起きている。
- 日本では「どうせ死ぬのだから」とばかりに、歓楽街が非常ににぎわい、かつてない盛況を見せたため、花柳界では「嗚呼ありがたきホーキ星様」と、ハレー彗星を拝む店も多かったという。
- しかし、無知ほど恐ろしいものはありません。物事は、正しい知識で、正視眼で見るようにしたいものです。
第17回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞した『千曲川』。五木ひろしが切々と歌うご当地ソングの決定版です。
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