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ブログ/2010-04-14

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1867年の今日、時代の風雲児、高杉晋作没す~享年28歳~

生涯の師・吉田松陰の教えのままに明治維新へ向け時代を駆け抜けた高杉晋作。

高杉晋作
  • 高杉晋作の一生は、わずか27歳と8か月という短いものでしたが、その生きざまは今もなお、私たちに示唆するものが多いといえます。

    高杉家は戦国時代の中興の祖・毛利元就からの家臣であり200石で経済的にも恵まれていたため幼少時代は剣道に没頭したくましく成長していった。

    晋作は8歳の時に寺子屋に入り、そこで後に松下村塾の双璧と言われた久坂玄瑞と出会います。
    晋作が17歳のときに久坂玄瑞の誘いで「松下村塾」に入り、そこで生涯の師となる吉田松陰と出会うことになる。

1964年の今日は、歌手・今井美樹の誕生日です。これを記念して代表曲『PRIDE』を聴くことができます。高杉晋作と同様に、自分と自己の人生に「プライド「を持っていければと思います。「続きを見る」をクリックしてどうぞ。

男の生き方を知り、師匠への報恩と仇討ちに生き抜いた晋作の生きざま!

  • 晋作は、単なる知識ではなく、物事を実践する知識として教えてくれる吉田松陰に引き込まれていく。
    藩命で江戸の昌平坂学問所(当時の最高学府)へ入るが、面白くない学問にあきあきしていたが、同じ江戸の小伝馬町の牢獄に松陰が投獄されていることを知り、手紙で「男子たる者の死」について質問した。

    松陰は書簡で晋作に返事を出すが、そこにはこう書かれてあった。
    • 世の中に身体は生きているが心が死んでいる者がいる。また、身は落ちぶれても魂は厳としている者もいる。心が死んでいれば生きていても何の益ももたらさない。生き行く目的のしっかりとした魂を持っていれば、身が落ちぶれても損と思うことはない
  • そして、「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」と結んであった。
    松陰が晋作に送った死生観に関するこの手紙が、後の晋作の生き方に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
  • 晋作20歳の時に藩命により帰郷を命じられ、松陰に長州での再会の旨、書簡で送り出発する。
    しかし、その10日後に松陰は処刑されてしまう。

    予期しなかった師・松陰の死に、悲しみと幕府への激しい怒りに打ち震えた晋作は、倒幕と師の仇討ちを心に誓い、歴史のうねりの中に身を投じていくことになる。
  • しかし戦い続けた晋作の身体は、その間、肺結核に冒されていた。必死に療養し回復に努めるが、1867年(慶応3年)4月14日深夜に死去する。
    無念ながら、大政奉還を見ずしてこの世を去ることとなった。

    まさに松陰の教えを実行し、時代を駆け抜けた太く短い一生であった。
    なお、晋作の墓は、師・松陰の墓のすぐ後ろに設置された。それは、まさに師を護らんとする弟子の姿を表しているようです。

今井美樹『PRIDE』は、本当に詩も曲も歌声もきれいな、素晴らしい楽曲です。

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