温故知新、論語、九思一言、天子の声、孔子、歴史上の出来事、歴史上の人物、歴史上の事件、歴史上の災害、

温故知新! 昔のトピックスで今を学ぼう!!

ブログ/2010-04-16

Top / ブログ / 2010-04-16

1972年の今日、ノーベル文学賞受賞者、川端康成が自殺?!

幼少の時に近親者の全てを失い、孤独の中で育った川端康成

川端康成
  • 川端康成は1899年(明治32年)6月14日、大阪市北区此花町に生まれた。
    しかし、父親が満1歳で死ぬ。まだ、常に母の懐に抱かれるべき康成の2歳の時に母親も死んでしまう。いずれも肺結核が原因だった。

    さらに、育ての親となった祖母と別離していた姉が6歳の時に死んでしまう。そして、頼るべき祖父も、康成が14歳の時に死んだ。
    そのため、彼は中学校の寄宿舎に入り、そこで生活したのだ。

    幼くして次から次と肉親が死んでいく現実にさらされて、康成は天涯の孤独感を味わうとともに、彼自身の死生観を形成していったのではないかと思う。
    軽々には即断はできないが、人生の総決算としての自殺もこれと全く無関係とは思えない。
    また、そのような原体験があるからこそ、非常に繊細な表現の小説が書けたのかも知れない。

「続きを見る」をクリックすると、川端康成のノーベル賞授賞式の模様を動画でご覧いただけます。

  •  彼が小説を志したのは中学2年の時という。卒業後上京し、高校に進学しその後21歳で東京帝国大学に入学する。
    卒業後、横光利一、今東光ら14人とともに「文藝時代」を創刊し、本格的に小説を執筆するようになる。

    伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など、日本の美を表現した作品を発表し、
    1968年(昭和43年)12月に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。受賞理由には「日本人の信条の本質を描いた、非常に繊細な表現による、彼の叙述の卓越さに対して」となっている。

偉大な業績を世界に残しながらも最後は孤独の中で没した川端康成

  • 1972年(昭和47年)4月16日、散歩に行くと自宅を出て、仕事場であるマンションに行き、ガス管をくわえて自殺してしまう。享年72歳。
    なぜ、死ななければならなかったのか?

    遺書がなかったため、ハッキリとその原因は不明だが、推定される理由としていくつか挙げられている。
    • 親交の深かった三島由紀夫の割腹自殺に衝撃を受けたこと。
    • 都知事選で自民党が擁立した秦野章の応援に担ぎ出されたことへの羞恥。
    • 加齢による老い(創作意欲の減退)への恐怖に見舞われていたこと、など。
  • しかし、これらはあくまでも推定であり、幼少期の相次ぐ肉親の死を見つめた心に何が刻まれたのかも含めて、必然の答えは無いといえる。

元に戻る



コメント


認証コード(6069)

powered by Quick Homepage Maker 4.18
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional