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ブログ/2010-04-17

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手作りにこだわった米ぬか海藻石鹸

私も使ってみましたが、確かに良く汚れが落ちるし皮膚疾患を持つ私にもやさしい石鹸です。



1837年の今日、自由民権運動の主導者、板垣退助生まれる。

板垣退助
  • 1837年(天保8年)4月17日、高知城下の土佐藩士・乾正成の長男として誕生する。
    乾家は220石取りの「上士身分」であった。ちなみに、現在TVドラマ『龍馬伝』の坂本龍馬は郷士で「下士身分」であり、上士と下士には厳然たる差別があった。

    自由民権運動の主導者として有名であり、一般庶民から圧倒的な支持を受けていた。
    また没後も、日本の民主政治の草分けとして評価が高く、終戦後の50銭政府紙幣や日本銀行券100円券に肖像として描かれている。

暴漢に襲われた時、名句「板垣死すとも自由は死せず」を残す!!

  • 1881年44歳の時、10年後に帝国議会を開設するという国会開設の詔(みことのり)が出されたのを機に、自由党を結成して党首となる。

    全国を遊説してまわり、党勢拡大に努めていた1882年4月、岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷するという事件がおきた。
    板垣は襲われた後、起き上がり出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言った。
    これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになった。
  • 板垣は自由民権運動家の立場から、華族制度には消極的な立場をとっており、爵位授与の勅を二度断っていたが、1887年5月50歳のとき、三顧の礼を周囲から諭され、三度目にしてやむなく伯爵位を授爵した。
    その結果、衆議院議員となることはなく、また、伯爵議員の互選にも勅選議員の任命も辞退したため、帝国議会に議席を持つことはなかった
  • 板垣退助は日本の民主主義発展に大きな功績を残したが、彼自身は何に対しても無欲であり、清濁合わせ呑むことが要求される政治家としては必ずしも有能だったとは言えない。
    そのことは、作家の司馬遼太郎も「板垣は軍人以外はどういう仕事も適していない」と指摘している。

    しかし、現代の政治家のように、自分自身のためにだけ欲がありすぎるのは、まったくいただけない。少し、板垣の生きざまを見習ってほしいと思いますが・・・・・

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