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ブログ/2010-04-24

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1620年の今日、イギリス人の三浦按針(ウィリアム・アダムス)が平戸で没す。

三浦按針肖像画
  • 1564年9月24日、英国人ウィリアム・アダムスはケント州ジリンガムに生まれた。
    江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えた航海士・水先案内人・貿易家

    25歳で海軍に入り、ドレイク艦隊の船長を務めたのち、故郷で結婚して2人の子をもうけた。
    彼の人生の歯車は34歳の時にオランダの東洋遠征隊(5隻)の航海長になった頃から始まる。
  • 地獄のような苦しい航海の末、ただ1隻リーフデ号のみが1600年(慶長5年)3月16日に九州備後沖に漂着した。
    大阪城で徳川家康に調べられ、彼の人柄がすばらしいこともあって家康の信用を得て、江戸日本橋に一軒の家を与えられたことからウィリアムの人生が大きく変転することになる

ウィリアムはイギリスに妻子を残したまま、三浦按針として生涯を日本で過ごす?!

  • ウィリアムは帰国を願い出たが許されず、叶うことはなかった。代わりに家康は米や俸給を与えて慰留し、外国施設との対面や外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めたりした。
    また同時に、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の幕閣に授けたとされている。

    帰国を諦めつつあった38歳の時に、家康の御用商人の娘・お雪(マリア)と結婚し、彼女との間に息子のジュゼフと娘のスザンナが生まれている
  • ウィリアムの船大工としての経験を買われ、家康から西洋式の帆船の建造を要請され、伊東に日本初の造船ドックを設置して80トンの帆船を、引き続き120トンの帆船を相次いで完成させる。

    この功績を賞した家康は、更なる慰留の意味もあって、ウィリアムを250石取りの旗本に取立て、帯刀を許しただけでなく、相模国逸見(へみ)に采地を与えた。
    そして、三浦按針の日本名を付けた

    ちなみに、「三浦」は領地のある三浦半島にちなみ、「按針」は、彼の職業である水先案内人の意味がある。
    ウィリアム・アダムスは異国人でありながら、日本の武士として生きるという数奇な境遇を得た。しかし、ウィリアムは西洋の進んだ文化等を日本にもたらした功績は大きい。
    ただ心残りは、イギリスの故郷に残したままの妻子のことであったろうと思う。
  • 伊東市では、洋式帆船建造進水を記念して毎年、8月10日に按針祭を開催している。

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