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ブログ/2010-05-21

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1928年の今日、野口英世、黄熱病の研究で倒れ死去。53歳。

野口英世
  • 野口英世は1876年(明治9年)11月9日、福島県猪苗代町に生まれた。
    1歳のときに囲炉裏に落ちて左手を大火傷したため、小学校に入ってからも左手の障害から農作業が難しく、学問の力で身を立てるよう母親にさとされている。

    15歳の時、会津若松で開業していたアメリカ帰りの渡部医師により左手の手術を受ける。その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになるが、この手術がきっかけで野口は、医師を目指すことになったという

1939年の今日は、人気作曲家の一人、中村泰士の誕生日です。これを記念して彼の代表曲の一つ『喝采』(ちあきなおみ)を「続きを見る」をクリックして聴くことができます。

  •  野口はその後、経済面も含めて苦学して21歳で医師免許を取得する。さらに、35歳で京都大学医学博士、38歳で東京大学理学博士の学位を授与される。
    そして同年7月にはロックフェラー医学研究所正員に昇進する。

    野口が42歳の時、ロックフェラー財団の意向を受けて、まだワクチンのなかった黄熱病の病原菌発見のため、当時、黄熱病が大流行していたエクアドルへ派遣される。
  •  1927年(昭和2年)10月にアフリカのイギリス領ガーナにおいて、さらに黄熱病の研究を続ける。
    しかし、翌年5月に野口自身が黄熱病にかかり病院に入院する。

    5月18日に病状が悪化し、1928年(昭和3年)5月21日昼ごろ、病室で死亡し53歳の生涯を閉じた
    6月15日に、アメリカ、ニューヨークのウッドローン墓地に埋葬された。

1972年(昭和47年)に第14回日本レコード大賞を受賞したちあきなおみの『喝采』をどうぞ。

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