温故知新、論語、九思一言、天子の声、孔子、歴史上の出来事、歴史上の人物、歴史上の事件、歴史上の災害、

温故知新! 昔のトピックスで今を学ぼう!!

ブログ/2010-05-24

Top / ブログ / 2010-05-24

海外格安航空券の24時間自動予約 イーツアー


1971年の今日、女性解放運動の指導者、平塚らいてう没す、85歳!

平塚らいてう
  • 1886年(明治19年)2月10日、平塚らいてう(らいちょう)は東京府麹町区3番区に、3人姉妹の末娘として生まれる。本名は平塚明(はる)。

    平塚は、1903年17歳のとき、「女子を人として、婦人として、国民として教育する」という教育方針に憧れて日本女子大学校に入学する。
    父親は「女子には女学校以上の学問は必要ない」との強い反対をやっと説得しての入学であった。
  • 平塚は22歳のころ、文芸同好の関連で知り合った男性と恋に落ち、心中未遂事件も引き起こしてしまうが、新聞がある事ない事を面白く書き立て顔写真まで掲載したため、彼女は一夜にしてスキャンダラスな存在となってしまう。

    しかし、これを機に平塚は、男尊女卑の社会で抑圧された女性の自我の解放のために、文芸誌『青鞜』を創刊し、平塚は「元始女性は太陽であったー青鞜発刊に際して」との創刊の辞を書いたが、その時に初めて「らいてう」というペンネームを用いている。
  • 1919年(大正8年)11月24日、平塚33歳のとき、市川房枝、奥むめお等の協力を得て新婦人協会を設立し、「婦人参政権運動」「母性の保護」を要求し、
    女性の政治的・社会的自由を確立させるための日本初の婦人運動団体としてスタートした。

    その後、さまざまな形で協会も運動も推移するが、戦後期も含め、常に「女たちはみな、一人ひとり天才である」と宣言し続け、終生、婦人解放運動及び反戦・平和運動に献身した。
    その尊い戦いは、現代における男女平等の姿、あるいは法令的にも男女雇用機会均等法、育児介護休業法などにも結実したと言えるのではないかと思う。

元に戻る



コメント


認証コード(2025)

powered by Quick Homepage Maker 4.18
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional