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ブログ/2010-06-02

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1582年の今日、織田信長を家臣・明智光秀が襲う「本能寺の変」勃発!!

本能寺の変
  • 1582年(天正10年)6月2日、織田信長の家臣・明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に宿泊していた主君・信長を急襲し、自刃させたクーデター事件ないし暗殺事件が発生した。一般に「本能寺の変」と呼ばれている。

    当時の織田信長は、全国統一を実現する天下人に最も近い人物であったが、重臣の一人であった明智光秀がその実現を砕くという、日本の歴史においても最重要事件の一つとされている。

明智光秀が反旗を翻した原因には諸説があり、未だ定かでない?!

  • 光秀が反旗を翻して、絶対君主・信長を襲った原因は定かでなく、多くの歴史家が研究しているが、現在に至るも定説と言われるものは確立していないとされる。次にいくつか紹介しておきます。
    • 光秀が信長に恨みや恐怖を持ち、それが謀反に繋がったとする説で、宴会の席で何度も馬鹿にされたこと、徳川家康の接待役を途中で解任されて侮辱されたこと、領地を召し上げられたこと等のほかに、
      比叡山の焼き討ちや一向宗門徒の虐殺などの信長の残虐な行為に恐れを抱いていたこと等々が謀反の衝動を与えたとする説。
    • 光秀が天下取りの野望を持ったという説で、織田軍が各地に出払っており、信長が無防備な状態で京都に宿泊しており、かつ自分が軍勢を率いていることが天下取りの野望の衝動を駆り立てたとする説。
      以上の2つが最も有力な原因とされているものです。
    • 次は本能寺の変によって一番得をした人物、つまり豊臣秀吉を黒幕とする説で、よく小説やドラマで採り上げられているものです。
      本能寺の変の後、秀吉は戦っていた毛利軍と手早く講和し、「中国大返し」により驚異的なスピードで近畿地方に戻っているが、これは事前の準備がなければ不可能だったと言われている。また、秀吉の軍師であった黒田官兵衛の、好機を逸せずの進言があったからても言われている。
    • 室町幕府の将軍であり信長に追放にされてしまった足利義昭の陰謀とする説で、近年かなり有力視されているものです。
      足利は追放された後も、幕府再興を目指して信長を追い落とすための様々な謀略を巡らしてり、かつ光秀も以前は足利の家臣であり、普段から連絡を取り合っており、本能寺の変のときも足利の手引きがあったのではないかとされている。
  • 以上のほか、徳川家康黒幕説、朝廷陰謀説、毛利家・上杉家等の敵対勢力黒幕説など、様々な説がありますが、省略します。

    いずれにせよ、信長は天下統一の総仕上げの段階に入っていた時期であり、それをそっくり引き継いで天下統一を現実のものとしたのは、農民の子であり足軽から這い上がった、いわば無名の豊臣秀吉であったことに、歴史の妙を感じてなりません

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