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ブログ/2010-06-13

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1931年の今日、日本細菌学の父・北里柴三郎没す。

北里柴三郎
  •  北里柴三郎は、1853年(嘉永5年)12月20日、熊本県阿蘇郡小国町に生まれる。
    北里本人は軍人を志していたが、両親の願いもあり医学の道へ進むことになった。

    1875年、22歳のときに東大医学部に入る。北里は在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信するようになり予防医学を生涯の仕事と定めている。
  •  1885年、32歳の時北里はドイツ・ベルリン大学へ留学し、「近代細菌学の開祖」と言われたコッホに師事し、
    36歳のときに世界で初めて、破傷風菌だけを取り出す「破傷風菌純粋培養法」に成功する。

    さらに翌年には破傷風菌抗毒素(免疫体)を発見し、しかも「血清療法」という画期的な治療方法も開発した北里の前人未踏の成果は、世界の医学界を驚嘆させたという。

北里研究所(現北里大学)や慶應大学医学部を創設するなど日本の医学の発展に貢献。

  • 1914年、北里61歳のときに私費を投じて「私立北里研究所(後の北里大学の母体)」を設立し、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んでいる。

    また、福沢諭吉の援助を受けてきた長年にわたる多大な恩義に報いるために福沢の遺志を継ぎ、慶應義塾大学に医学部を創設し、初代医学部長と付属病院長に就任する。
    北里は終生、無給で慶應大学医学部の発展に尽力するとともに、現在の日本医師会の初代会長も務めている。
  • 北里は日本を代表する医学者として偉大な業績を残している。
    また、世界的に著名な野口英世博士は、北里研究所に研究員として勤務しており北里とは師弟関係にあった。
    なお、明治製菓株式会社の最高顧問である北里一郎は北里の孫にあたるという。

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