温故知新、論語、九思一言、天子の声、孔子、歴史上の出来事、歴史上の人物、歴史上の事件、歴史上の災害、

温故知新! 昔のトピックスで今を学ぼう!!

ブログ/2010-07-09

Top / ブログ / 2010-07-09

ジーンズが似合うためには「骨盤」が重要!


1908年の今日、日本の指揮者の巨匠・朝比奈隆生まれる。

93歳の障害を終えるまで立ったまま指揮を執り続けた!!

朝比奈隆
  • 朝比奈隆は、1908年7月9日に東京市牛込区の小島家に誕生するが幼少の頃に養子となったため朝比奈姓になった。
    15歳の時に親戚の者の影響でヴァイオリンの魅力に魅かれ音楽に興味を示すきっかけとなったことが生涯の行路を決定したという。

    戦後、満州から引き揚げた後、大阪音楽高等学校勤務を経て、1947年4月、37歳の時に現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の母体となる関西交響楽団を結成);する(1960年に改称)
    1960年代から1970年代初頭まで東京でも活動してはいたが、単に「&color(blue){大阪のローカルオーケストラの指揮者
    」としか見られなかった。
  •  1973年(昭和48年)に大阪フィルが東京公演を行った。しかし、当時の大阪フィルは「所詮は大阪のローカルオーケストラ」と見られ、朝比奈も「玉砕覚悟で恥をかきに行こう」の団員の緊張を和らげ乗り込んだ。
    しかし、公演で取り上げたオーストリアの作曲家・ブルックナーの交響曲第5番の出来栄えが素晴らしく、観客からも大喝采を浴びた。

    これを通し朝比奈は一躍「巨匠と呼ばれ、また日本のブルックナー解釈の第一人者」として注目を集めるようになった。
  •  晩年の1996年、朝比奈88歳の時アメリカのシカゴ交響楽団で客演したが、これはフランスの名指揮者、ピェール・モントラーの記録を抜く同オーケストラの最高齢の客演であったという。

    2001年10月24日93歳の時に名古屋で公演し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番及び交響曲第5番の指揮が最後の舞台となった。
    演奏会終了後、体の不調を訴えて入院し、そのまま復帰することなく12月29日に死去する。

    立って指揮が出来なくなったら引退」と言い続け、練習中でも椅子などは使わず、最後まで立ったまま指揮を執り続け、生涯現役であった。
    ここにも一人の偉大な芸術家の真髄を見る思いがする。

元に戻る



コメント


認証コード(3000)

powered by Quick Homepage Maker 4.18
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional