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ブログ/2010-08-04

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1830年の今日、明治維新の精神的指導者、吉田松陰生まれる。

吉田松陰と弟子
  • 1830年(文政13年)8月4日、萩城下・松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる
    しかし、6歳の時に叔父で山鹿流兵学師範である吉田家に養子に入る。その翌年に同じく叔父が開いた松下村塾で指導を受けている。

    1854年、松陰24歳の時、西洋の先進文明に感動し、戦艦に乗船して密航を企てるが発見され、拒否された。
    松陰は、密航の証拠が幕府に渡る前に奉行所に自首し、伝馬町の牢屋敷に送られる。

松陰の自由な発想と柔軟な思考による教育で明治維新の逸材を輩出!!

  • 翌1855年に出獄を許されるが、杉家に幽閉の処分となる。2年後、27歳で叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に新たに松下村塾を開塾する。

    松陰の松下村塾は、師匠が一方的に弟子に教えるのではなく、テーマに沿って松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、また文学だけでなく登山や水泳なども行うといった「生きた学問」だったと言われる。

    そのため、自由な発想と柔軟な思考が磨かれ、この塾から幕末から明治維新へと、近代日本を建設する逸材が育っている
    代表的な人物は、久坂:玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、桂小五郎等である。
  • 1858年、松陰28歳の時、幕府が勅許なしで日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、倒幕を表明し老中首座の暗殺を計画するが、弟子たちの反対により頓挫し、逆に松陰は逮捕され、野山獄に幽閉される。

    やがて大老・井伊直弼による安政の大獄が始まり、尋問の際に松陰が老中暗殺計画の詳細を自供し、さらに自身を「死罪」にするのが妥当と主張する。
    松陰を遠島の刑にしようと考えていた井伊はこれに激怒し、1859年(安政6年)10月27日に斬刑に処した。享年30歳、生涯独身であった。
  • 松陰は獄中で遺書として弟子たちに向けて『留魂録』を書き残している。その冒頭は、次のような、大変有名な、辞世の句となっています。
    • 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
  • 吉田松陰の教えのいくつかを紹介します。
    • 志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない
    • 世俗の意見に惑わされてはいけない
    • 目先の安楽は 一時しのぎと知れ
    • 至誠にして動かざる者は 未だこれ有らざるなり
    • 死して不朽の見込みあらば いつでも死ぬべし
      生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし

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