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ブログ/2010-10-09

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1967年の今日、キューバのゲリラ指導者、チェ・ゲバラ処刑される!

チェ・ゲバラ
  • チェ・ゲバラは、キューバ革命の中心者フィデル・カストロの実質的なナンバー2として社会主義革命を成就させた。
    チェ・ゲバラは通称であり、正式には「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」が本名となっている。

    ゲバラは1928年6月14日にアルゼンチン第2の都市ロサリオで裕福な家庭に生まれる。
    20歳の時にブエノスアイレス大学医学部へ入学し、後に医師免許も取得する。
    しかし、28歳の時グアテマラで医師を続けていた最中、亡命していた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い、共鳴して社会主義に目覚め急速にのめり込んでいく
  •  ゲバラがラテンアメリカで最も自由で民主的な国、と評していたグアテマラの革命政権が崩壊し、民主的選挙によって新政権が樹立される。
    これが直接のきっかけとなり、ゲバラへの暗殺司令が出されたこともあり、失意と怒りを抱いてメキシコへ脱出する。

    ゲバラ27歳の時、メキシコに亡命中の反体制派キューバ人のリーダー、フィデル・カストロと出会う
    キューバのパティスタ独裁政権打倒を目指すカストロに共鳴したゲバラは、このとき一夜にして反パティスタ武装ゲリラ闘争への参加を決意したという。
  •  ゲバラは28歳でキューバへ向かい、カストロ率いる反乱軍とともに山中に潜伏し、国内にいる反政府勢力とも合流し、反乱軍は増強されていった。
    ゲバラは最初の役割は軍医であったが、革命軍の政治放送をするためのラジオ局を設置するなど、ゲバラの持つ忍耐強さと誠実さ、冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才能等から、次第にリーダーの1人と認められるようになり
    カストロから第2軍の司令官に任命され、名実ともにカストロに次ぐナンバー2となった。
    1959年(昭和34年)1月1日午前2時10分、パティスタ政権が倒れ、パティスタ自身ドミニカへ亡命する。
    1月8日にカストロが首都ハバナに入城しキューバ革命」が達成された。
    ゲバラは闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の国立銀行総裁に就任している。
  •  1959年7月15日31歳のゲバラは、キューバ使節団を引き連れて日本を訪れている
    このとき広島を訪れたゲバラは、原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪問した際、ゲバラはこう語ったという。
    • アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはアメリカの言いなり(=対米従属)になるのか」と。
  • ゲバラはその後もコンゴ革命、ボリビア革命の指導的立場で戦うが、
    1967年10月8日に20名前後のゲリラ部隊とともに行動していたが、政府軍のレンジャー大隊の襲撃を受けて捕えられてしまう。

    同年10月9日日中、ゲバラは銃殺刑により処刑された。
    ゲバラの最後の言葉は、射殺を躊躇する兵士に向かって叫んだ。
    • 落ち付け、そしてよく狙え。お前はこれから1人の人間を殺すのだ」であったという。

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