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ブログ/2010-10-14

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1990年の今日、アメリカが生んだ初の国際的指揮者、レナード・バーンスタイン没す!

ヘルベルト・フォン・カラヤンと並び20世紀後半のクラシック音楽界をリード!

レナード・バーンスタイン
  • バーンスタインは、ウクライナ系ユダヤ人移民3世としてマサチューセッツ州ローレンスに生まれる。
    音楽的な環境にはなかったが母親が持っていた蓄音器の音楽に耳を傾けるのが大好きな赤ん坊だったという。

    そのため父親の反対を押し切ってプロの音楽家の道を志したバーンスタインは、ハーバード大学カーティス音楽院で学ぶ。
    転機となったのは、1943年25歳のとき、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨークフィルハーモニー交響楽団を指揮したことであった。

    この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあり、一大センセーションを巻き起こした。
    更に1958年40歳でアメリカ生まれの指揮者として史上初めて同交響楽団の音楽監督に就任する。
  • バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらした。
    作り出す音楽の魅力、気さくでおおらかな性格、指揮者として情熱的な指揮ぶりなどでファンを魅了し続けたという

    1969年51歳でニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は特定のポストには就かず、ウィーン、イスラエル、バイエルン、フランス、ロンドンなどで客演して名演奏を聴かせている。

    1985年(昭和60年)8月に広島を訪れ広島平和コンサート」を開催している。
    音楽教育者としても大きな業績を残し、マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名だ。
  • 1990年(平成2年)に入る頃は既に病に冒されており、同年8月19日のボストン交響楽団との演奏が最後の舞台となり
    10月9日に指揮活動からの引退を表明するも、それから5日後の10月14日に肺がんのため、ニューヨーク市内の自宅で逝去した。

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