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ブログ/2010-10-23

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1901年の今日、田中正造、衆議院議員を辞職し最後の闘いに挑む?!

公害の原点といわれる足尾銅山鉱毒事件に生涯を捧げた熱血漢!!~最後の闘いに挑むため議員辞職~

熱血漢・田中正造
  • 1901年10月23日に衆議院議員を辞職した田中正造は、同年12月10日に足尾鉱毒事件について明治天皇に有名な直訴を行います。

    本来、田中が描いたストーリーは、天皇の前に突然、直訴状を届けんとしても、天皇御付きの護衛に突き殺される
    そうすると直訴状を作成した幸徳秋水が写しを翌日に発表する段取りだった

    しかし、護衛の曹長が馬を急転回させたため、転んでしまい、田中は助かってしまう
    助かってしまえば直訴状も取り上げられ、うやむやにされてしまう。

    実際には、途中で警備の警官に取り押さえられ直訴そのものは失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容も広く知れ渡ってしまう
  • 足尾鉱毒事件とは、栃木県上都賀郡にある足尾銅山から流出する鉱毒が、
    周辺の山を源流とする渡良瀬川沿岸の農業・漁業に壊滅的な被害を与えた事件である。

    田中正造は問題が発覚した当初から農漁業と市民を守るために闘い
    1913年(大正2年)9月4日に死去するまで財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし死んだときは無一文であったという。

殖産興国の陰で泣く庶民~政府と財界の癒着は同じ~

  • 1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬した田中正造は初当選する。
    同年に渡良瀬川で大洪水があり、流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され大騒ぎとなる。

    田中は翌年、鉱毒の被害を視察し議会で取り上げる。そして、鉱毒反対運動の拠点ともなる群馬県館林市の雲龍寺でも演説を行う。
  • 田中の必死の訴えにも、市民の陳情にも政府はなかなか動こうとしなかった
    それは当時、日本は世界に向けて貿易を中心として殖産興国の時代背景にあったこと

    さらに時の農商務大臣・陸奥宗光の二男が古河市兵衛の娘婿養子となっていたのだ。つまり農漁民の利益を代表するべき農商務大臣が、実は古河一族の身内だったというわけで消極的になるのもうなづける。&be;
    いつの時代も変わらぬ政略結婚が横行していた?!

田中正造の生きざまに感動した方々

  • 北海道に我が国最大の雪印乳業を創設し、偉大な経営者となった黒沢酉蔵氏

    彼が16歳のとき、田中正造の天皇直訴事件の翌日、田中が釈放されると会いに行っている。
    それは少年特有の英雄像に惹かれてのことだったという。

    その後、黒沢氏は田中に魅せられ、その後4年間にわたり田中正造のもとで助手として働いた

    黒沢氏は当初、殖産興国の風潮の中で田中の足尾鉱山閉鎖の主張は極論すぎると思っていたようだが、
    黒沢氏が晩年になってようやく正造の主張の正しさを理解できたと述懐している。
  • 1900年(明治33年)11月28日、田中正造が、川俣事件第15回公判で、検事論告に憤慨して欠伸をし、官吏侮辱罪に問われ、
    結果、1902年6月16日に欠伸事件の有罪判決が下り、巣鴨監獄に41日間服役した。

    この時期に内村鑑三が万朝報に「窮民救済の田中正造翁の入獄を憤る」と題して論評を掲載した。以下に、一部を抜粋して読者に供したい。
  • 田中正造翁の入獄は、近年まれに聞く惨事である。このことについて深く考える者ならば奇異の感に撃たれない人はいないだろう。

    勿論、翁とても完全無欠な人でないことは私も良く知っている。しかしながらこの罪悪の社会にあって、翁ほど私利私欲の無い人は多くなく、私が保証するところである。

    窮民の救済にその半生を費やし、彼らを死滅の淵より救おうとする外に、一つの志望もなければ快楽もないこの翁は、誠に明治時代の義人と称しても、けっして過言ではないと思う。
  • 田中正造翁に比較して、翁にこの苦痛を与えた原因といってもいい、古河市兵衛氏のことを考えてみたらどうだろうか。
    もし、世の中に正反対の人物がいるとすれば、真に田中翁と古河氏である。

    二人ともほとんど同齢の人だが、一人は窮民を救おうと努力し、もう一人は窮民をつくりつつある。
    しかし、無辜の窮民を救おうとする田中翁は、刑法に問われて獄舎に投ぜられ、

    窮民を作りつつある古河市兵衛氏は、朝廷より正五位を賜り、交際を広く貴族社会にもち、キリスト教会の慈善家にまで大慈善家として仰がれ、
    日本中いたるところで優遇・歓待されている。
  • しかしながら深く考えてみるに、古河市兵衛氏の地位は決して羨むべきのものでなく、田中翁の目下の境遇こそ、かえって私の慕うところである。

    「義のために責められるものは福なり」。善をなし、義を行わんとして、それがために苦を受けるほど幸せなことはないのである。以下略

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