ブログ/2010-11-28
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1883年の今日、初の洋風社交場「鹿鳴館」が落成する。
- 鹿鳴館は、外国からの賓客や外交官を接待する為に、明治政府により建てられた社交場であった。まさに、明治維新後の急激な西欧化を象徴する存在とされている。
当時の日本外交の課題は、不平等な外国との条約改正であり、特に外国人に対する治外法権の撤廃が大きな問題となっていた。
日本に住む外国人の多くは、数年前まで行われていた磔刑や打ち首を実際に目撃しており、
外国政府は、自国民が残酷な刑罰に処せられることを危惧して治外法権撤廃に強行に反対していたのだ。
その為、当時の外務大臣であった井上馨は、日本が文明国であることを広く外国人に示す必要があると考え、
外国賓客用の迎賓館の建設を推進したという。
- 1883年(明治16年)11月28日、1200名を招待して落成の祝宴が行われた。
建物は煉瓦造り2階建てで、1階に大食堂、談話室、書籍室などがあり、2階に舞踏室があり3室を開放すると100坪ほどの広間になり、賓客数によって使い分けていたという。
また、バーやビリヤードも設備されていた。
「鹿鳴」とは詩経の「鹿鳴の詩」に由来しており、来客をもてなす事を表す言葉であるという。また、祝宴当日は、奇しくも井上馨の誕生日でもあった。
なお、落成の明治16年から明治23年までの7年余を鹿鳴館時代と言われている。
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