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ブログ/2010-12-06

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1700年の今日、水戸黄門こと水戸光圀没す!

テレビドラマ「水戸黄門」の一場面
  • 徳川光圀は、江戸時代の水戸藩第2代藩主であり、水戸黄門の呼び名の方が有名だ
    水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男で母親は側室(いわゆる妾)であり徳川家康の孫に当たる

    後に『大日本史』と呼ばれる修史事業に着手し、古典研究や文化財の保存活動など
    後の水戸学と呼ばれる歴史学の形成にもつながっている

    『大日本史』の完成には光圀の死後250年後のことですが、その基礎を作り1700年12月6日に死去した。享年73歳。

大日本史編纂に必要な資料収集のため家臣を諸国に派遣したことが高じて水戸黄門の諸国漫遊となる?!

  • 江戸時代中期から言行録や伝記を通じて名君伝説が確立していたが
    江戸時代後期から近代には、白髭と頭巾姿で諸国を行脚して、お上の横暴から民百姓の味方をして悪人を懲らしめる黄門漫遊譚が確立するがこれはフィクションだ。

    まず、水戸黄門と呼ばれるようになった理由は、中納言の中国名を「黄門」といい、
    光圀がその代表的な存在とされたため。

    また大日本史編纂に必要な資料等を収集するため家臣である安積覚兵衛(=格さん)と佐々介三郎(=助さん)らを諸国に派遣したことなどが高じて話が膨らんだからと言われている

    しかし、実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことはなく、現在の関東地方の範囲から出た記録は残っていないとされている

光圀の人物像~好奇心旺盛で多くの初物を食したり取り入れたりした~

  • 光圀は学究肌で、非常に好奇心の強いことでも知られており、様々な逸話が残っています。

    日本の歴史上、最初に光圀が食べたものとされるのは、ラーメンをはじめ餃子、チーズ、牛乳酒、納豆などがある。

    また第5代将軍徳川綱吉が制定した「生類憐みの令」を無視して牛肉、豚肉、羊肉等を食べていたという

    さらに、吉原遊郭近郊の浅草界隈で見た手打ちうどんの技術を自ら身につけ、うどんを打つこともあったとのこと

    昭和時代から現代に至るまで、水戸黄門はテレビの人気番組であるが、
    光圀のこれらの好奇心や常に先取りする姿勢や様々な逸話・エピソードが題材となっているのかも知れない

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