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ブログ/2010-12-21

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1850年の今日、国定忠治41歳で磔の刑に処せられる!

「赤城の山も今宵限り」でお馴染みの博徒の生涯。

国定忠治
  • 国定忠治は、現在の群馬県伊勢崎市国定町の豪農の家に生まれた
    その後長ずるにより博徒となって上州や信州一帯で活動

    特に赤城山南麓を盗区として実質支配する。そして、対立する博徒を次から次に排除する
    さらに目明しの三室勘助を殺害したことにより忠治一家は関東取締出役から一斉手配を受け

    一家の幹部の多くは逮捕され、忠治のみ会津方面へ逃亡したが
    結局4年後に捕縛される。

    取り調べを受けたが、特に最も重罪である関所破りのかどで1851年(嘉永3年)12月21日に磔の刑で処刑される。享年41歳であった。

多くの講談や新国劇で取り上げられ大人気を博した国定忠治?!

  • 赤城山は、群馬県のほぼ中央に位置する山で、カルデラ及びカルデラ湖を持つ
    関東地方で有数の複式火山であり日本百名山や日本百景の1つにも選ばれている。

    しかし、赤城山の名前が全国に広がったのは国定忠治の有名なお馴染みの次の台詞であった。
    • 赤城の山も今宵限り・・・かわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる門出だぁ・・・の一節。
  • この台詞を含む国定忠治の物語は、明治、大正、昭和初期に講談や新国劇の題材として大人気でした。

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