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ブログ/2010-12-28

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1934年の今日、昭和の太陽・石原裕次郎生まれる~別名・タフガイ、愛称・裕ちゃん~

石原裕次郎
  • 不良っぽい大学生時代、ヨットと海をこよなく愛したスポーツマン
    真っ青な青空と、金波輝く暑い夏のイメージの石原裕次郎は、
    1934年(昭和9年)12月28日年も押し迫った慌ただしいときに兵庫県神戸市に生まれました
    考えてみれば、裕ちゃんは生まれた時から正月そうそう病院にいたのですねー

大人になってから2~3年おきに病気、ケガで入退院が続く?!

  • 22歳のときに兄の石原慎太郎原作の映画『太陽の季節で衝撃的なデビュー
    4年後、26歳の時に売れっ子女優の北原三枝と電撃結婚。とにかく、やることなすことスケールが大きく、常に社会の反響を一手に集めているようだった

    しかし、タフガイの別名の通り、映画にしても日常の振る舞いにしてもトップスターとして悠々と振舞っているようであったが
    実は18歳以降、たびたび病気、ケガで入退院を繰り返していたことは余り知られていない。というより、分からないように工夫に苦労していたのではないだろうか。
    • 18歳の時にバスケの最中に左足膝に大怪我をする。なお、後に肝細胞がんになる肝臓は幼少時代から悪かったとのこと
    • 23歳のとき、無免許運転で右足打撲
    • 27歳のとき、志賀高原スキー場で他のスキーヤーと衝突し右足首粉砕複雑骨折。さらに後に右太股膿腫瘍の手術で入院
    • 30歳のとき、ハワイでヨット乗船中に右瞼を11針縫う
    • 33歳のとき、右手親指骨折、左足打撲で入院
    • 34歳のとき、右足打撲で1か月入院
    • 37歳のとき、心労と肺結核のため映画宣伝中に入院
    • 40歳のとき、階段から転落し左鎖骨骨折で入院
    • 44歳のとき、舌下潰瘍(舌がん)で入院。翌年、舌下白板症と診断、その手術跡に潰瘍ができ再手術
    • そして47歳のとき、解離性大動脈瘤と診断され生還率3%に挑戦し、奇跡的に退院・復帰する・・・
  • 大変に暗い話題の提供となりましたが、こういう、いわば満身創痍と言ってもいい状況の中で
    次から次と大ヒット映画の主演をこなし、『銀座の恋の物語』をはじめ多くのヒット曲で皆にやすらぎと希望を与え続けた裕ちゃんの生きざまに
    私は心からの感謝と感動を覚えずにはいられません

    そして50歳のとき、肝細胞がんが発覚し、倦怠感・腰痛と発熱が続くようになる。
    51歳、52歳と慶應大学病院に入院し、退院。静養
    そして1987年(昭和62年)7月17日容態が悪化し、高熱が続き、ついには幻覚症状も発し、16時26分肝細胞がんでこの世を去る

石原軍団のボスとして今も生き続けている!

  • 石原軍団の初代総帥として、俗にボスと呼ばれその人望、人柄はファンを熱くさせたものだ。
    現在は俳優の渡哲也を中心に石原プロモーションを運営しているが、不思議にも渡哲也も裕ちゃんと同じ誕生日だ(7歳年下)。

    渡は、裕ちゃんの現役時代から影の身に添うが如く仕えており、彼の主演映画やテレビの出演依頼があっても全て断り、決して裕ちゃんの前に出ようとしなかったという

    そこに石原軍団の結束の強さと人的結合の深さを垣間見る思いがする。その姿勢は今も変わらない
  • 裕ちゃんのヨットにかける情熱は俳優活動よりも強かったと言われ、
    また映画の撮影等にたびたび訪れていたハワイが一番好きな場所であり、静養のためにハワイに別荘を所有していた。

    現在、正月をハワイで過ごす芸能人が多いが、裕ちゃんはそのハシリとなった人でもある。
  • 当時の日本では、裕ちゃんのほか力道山と三橋美智也の3人しか所有していなかったと言われるメルセデス・ベンツ300SLを所有していたほか
    ロールスロイスやキャデラックなど複数の高級外車を所有するほどのカーマニアでもあった。
  • 裕ちゃんにまつわるエピソードをいくつか紹介します。
    • 俳優業について、しばしば「男子一生の仕事にあらずと語っていましたがそれでは何を本当はやりたかったのでしょうか
      実業家として経済界を席捲したかったのでしょうか。それとも政界に出て、兄の慎太郎のように国の未来を決すべき仕事がしたかったのでしょうか
    • いつもビールをはじめアルコールを手元から離さなかった酒豪
      休暇中には朝食にビールを飲むほどであり撮影所には「ビールは水」という考えから冷蔵庫が置かれていたという
      また、レコーディングの時にも、ウィスキーを飲みつつ行ったとか・・・・
    • 台詞覚えが悪いことでも有名で、台本を開いた状態で机の中において演技を行ったこともあったという
      しかし、その代わりNGを出すことはほとんどなかったと言われています
    • 『紅白歌合戦』には、毎年、出演依頼がきていたが、裕ちゃんは「歌は素人」という理由で辞退していたといいます
  • これらは裕ちゃんのほんの一面のことですが、やはりスケールが大きく、かつ、ハチャメチャなところも多く、それでいて女性ファンのみならず、いわゆる「男が男に惚れる!」という魅力に溢れた人物であったと思います。

    私も高校生時代、映画館によく行きました。また、亡くなった7月17日の夜には、一人で行きつけのスナックで裕ちゃんの歌を何曲も歌って偲んだ思い出があります。

    おそらく多くの方が大なり小なり、素敵な思い出を持っているのではないでしょうか。

    これだけ国民に熱狂的に愛され続けた裕ちゃんですが、意外な事に国民栄誉賞も、出身地の兵庫県知事賞も授与されていません
    ファンの一人として非常に残念であるし悔しいですね。

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