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ブログ/2010-12-29

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1965年の今日、西洋音楽の普及に努めた山田耕筰没す。

若き日の山田耕筰
  • 山田耕筰は、1886年(明治19年)6月9日現在の東京都文京区内で医師の父のもとに生まれる
    1899年13歳の時、姉を頼って岡山の養忠学校に入学し、義兄のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受け、これが生涯の活動の柱となる

    1908年に現・東京藝術大学を卒業後、1910年から3年間、三菱財閥の援助を受け、ドイツ・ベルリン音楽学校作曲科に入学し作曲法を学ぶ
    その間、日本人として初めて交響曲かちどきと平和を作曲している
  • 日本に帰国してからの山田耕筰は、日本初となる管弦楽団を創るなど日本において西洋音楽の普及に努めた
    また、ニューヨークのカーネギーホールで自作の管弦楽団により演奏している。

    さらに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィル・ハーモニー交響楽団等を指揮するなど
    国際的にも活動し、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもあったという
  • その一方で、詩人・北原白秋と共同して数多くの国民的歌謡・童謡や校歌等も作曲している。
    有名なもので一部を挙げると、『からたちの花』『この道』『赤とんぼ』『砂山』『ペチカ』などがあり、今も歌い継がれている名曲といえます。

    現代の日本へとつながる音楽界の発展に多大な貢献をなして、1965年(昭和40年)12月29日死去する。

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