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ブログ/2011-02-01

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仰向けに寝るだけで突起がつぼを刺激「揉まれる肩・首スッキリピロー」


1954年の今日、女優マリリン・モンロー初来日!

マリリン・モンロー
  • 1954年(昭和29年)2月1日マリリン・モンロー28歳の時、元野球選手ジョー・ディマジオと結婚し
    読売ジャイアンツの招きもあり新婚旅行を兼ねて初めて日本を訪れた

    滞在は帝国ホテルであったが、ディマジオは野球の仕事を兼ねていたため忙しく外出することが多かった
    しかし、野球に興味のないモンローは一人ホテルで待つ日々が続いた
  • そんな折、朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいとの依頼が舞い込み、暇を持て余していたモンローに断る理由もなく
    行くな、と反対するディマジオと喧嘩するようにして韓国へ向かった

    モンローは戦車に乗り、荒くれ兵士たちを前にして歌い喝采を浴びるなか、自分が一番光れる場所で光り輝いた

    だが韓国から帰ってきたモンローは風邪を引いてしまい、治療のために呼ばれたのが
    誰あろう、指圧の心の浪越徳次郎であった彼は、全裸のモンローに丁寧な指圧を施したという。日本人でモンローのヌードを見たのは彼が最初で最後だったとか(まっこと、ウラヤマシー・・・・??)

    結局、ディマジオとの結婚生活は9か月しか続かず、1955年に離婚している

不遇な少女時代から華麗なハリウッド女優、しかし最後は母と同じ病気で死去か?!

  • マリリン・モンローの母親は精神病であったため、モンローは孤児院で育てられた。
    彼女は温かい家庭を望んだのか、16歳で最初の結婚をしている。

    しかし、有名になりたいとの思いが強く、モデルとして活動を始めるが夫に理解されず、4年で離婚している。
  • その後、エージェントの尽力もあり映画にも徐々に出演する機会が増えてきた
    1953年公開映画『ナイアガラで主演し、腰を振って歩くいわゆるモンローウォーク」で世の男性の注目を集める
    続く『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気が大ヒットして一躍トップスターとなる

    特に『紳士は金髪がお好き』では「ゴールデングローブ賞 主演女優賞を受賞している
    しかし撮影当時、モンローの精神状態が不安定で、遅刻を繰り返し撮影所に来ても楽屋から出てこないなどの奇行が続いた

    共演のトニー・カーテイスもモンローとのキスシーンについてヒトラーとキスしたようなものだとコメントするなど混乱を極めた
    また監督のビリー・ワイルダーも撮影後にマリリンとはもう二度と仕事はしたくないと発言している
  • 1962年(昭和37年)8月5日、36歳の若さで死去
    死の直後、マスコミでは死因睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界にも大きな衝撃・悲嘆が駆け巡った。(何者かによる謀殺の疑いもあるという)

    葬儀は元夫のジョー・ディマジオが取り仕切り、映画界からの参列はすべて固辞された。モンローの墓所には彼の計らいで定期的に赤いバラが供えられている
    ディマジオの死後は、ファンクラブなどのボランティアの手で続けられており、今もバラが絶えることがないという

    結局、彼女もハリウッドの銀幕の大スターでありながら、不幸な、悲しい人生だったと思えてなりません。



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