温故知新、論語、九思一言、天子の声、孔子、歴史上の出来事、歴史上の人物、歴史上の事件、歴史上の災害、

温故知新! 昔のトピックスで今を学ぼう!!

ブログ/2011-02-09

Top / ブログ / 2011-02-09



1936年の今日、日本初のプロ野球試合が行われる!

対戦は東京巨人対名古屋金鯱戦で、10対3で金鯱が勝利!

日本初のプロ野球試合
  • 1936年(昭和11年)2月9日日本職業野球連盟主催の初のプロ野球試合が
    古屋・晴海球場で巨人対金鯱の試合として行われこの試合が日本最初のプロチーム同士の試合と認定されている。

    この日に先立つ2月5日に、日本職業野球連盟が設立された。
    所属球団は、東京巨人、大阪タイガース、西日本野球連盟名古屋協会(現中日ドラゴンズ)、東京野球協会(東京セネタース)、大阪阪急野球協会(現オリックスブルーウェーブ)、大日本野球連盟東京倶楽部(大東京軍)、名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱軍)の計7球団でスタートしました

日米野球決戦が日本プロ野球設立の機運を高める導火線に。

  • 1931年(昭和6年)に読売新聞社主催の日米野球が行われた
    大リーグからはそうそうたるメンバーが来たが、我が国はまだプロ球団がないため、東京6大学の現役選手を中心とする全日本との対戦を行ったが
    予想した通り日本は17戦全敗の惨めな結果だった

    1934年(昭和9年)に第2回日米野球が開催された。しかし、この試合において我が国の選手が大リーグにあっと言わせる結果を残すことができたのだ
    それは、現在もピッチヤーの目標となっている沢村賞の生みの親沢村栄治の活躍であった。

    当時、沢村は17歳で高校生であったため出場権はなかった。しかし、沢村は京都商業高校を中退し全日本チームに入ったのです。

    その沢村が160キロ近い速球と、大きくタテに曲がる懸河のドロップ」というカーブを駆使して大リーグ打線をキリキリ舞いにさせたという。何と胸のすくことでしょうか。
    唯一の失点は、ソロホームランの1点だけ。ただし、日本軍が1点も取れなかったため試合は負けましたが・・・・・
  • 今回の日米野球のもう一人の雄は、あの「ベーブ・ルース」であった。そのベーブですら、沢村に対して畏敬の念を込めてスクールボーイと言わしめたほど

    そのベーブ・ルースは当時きっての米国ナンバーワン打者。18戦で13本のホームランは日本の観客の度肝を抜きました。対する日本はわずか3本のみ。

    しかし、このベーブの来日は全国の野球ファンが詰めかけたが、この日米野球が日本プロ野球設立の大きなきっかけとなったことは間違いない



コメント


認証コード(9797)

powered by Quick Homepage Maker 4.18
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional