ブログ/2011-02-13
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1840年の今日、日本資本主義の父・渋沢栄一生れる!
- 1840年(天保11年)2月13日に誕生した渋沢栄一は、江戸幕府最後の将軍となった第15代徳川慶喜の幕臣となるが、
パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する弟・徳川昭武の随員としてフランスを訪れる。加えて、ヨーロッパ各国を訪問したことが、渋沢のその後の人生を決定づけることになる。
- その後、一時期大蔵官僚として腕をふるうが、退官後、官僚時代から指導していた第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後実業家として多くの実績を残す。
具体的には、第一国立銀行のほか七十七銀行等の地方銀行設立を指導するほか
東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現:太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど
多種多様の会社の設立に関わり、現代企業の基盤を作り上げている。
その数は、約500の営利企業と600に及ぶ非営利企業を手掛けたという。
財閥を作らず、利益はすべて社会へ還元~現代のCSR(企業の社会的責任)の先駆者の誉れか~
- 渋沢は、当時の財閥創始者である三井高福、岩崎弥太郎、安田善次郎、住友友純などと大きく異なる点は「渋沢財閥」を作らなかったことである。
彼は「私利を追わず公益を図る」という考えを生涯にわたって貫き、後継者にもこれを固く戒めている。
- 渋沢は実業界の中でも最も社会活動に熱心であり、今日のさまざまな礎を築いている。
- 東京市からの要請で養育院の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わる。
- 財団法人聖路加国際病院初代理事長や財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長にもなっている。
- 当時、商人には高等教育は不要との考え方が支配的であったなかで、商業教育にも力を入れ、現・一橋大学や東京経済大学の設立に尽力したほか、同志社大学設立の際の寄付金の取りまとめにも力を尽くしている。
- さらに、女性教育の必要性を考え、伊藤博文・勝海舟らと女子教育奨励金を設立し、日本女子大学校・東京女学館の設立を成し遂げている。
- その他アメリカや隣の中国のためにも各種の援助も行い、民間外交の先駆者としての貢献も行っている。
- 現代に残る財閥の基礎は明治時代に出来ているが、現代にそのまま残っている。しかし、確かに渋沢財閥はない。
いずれが良いか悪いかとの判断は、一概にはできないが、いかなる企業・団体でも創立者がどのような精神、思想・哲学を持っているかで後世のあり方まで決定されてしまうことは多くの事例が証明している。
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