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ブログ/2011-02-16

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1838年の今日、不屈の雄弁家・大隈重信が生まれる!

不屈の雄弁家・大隈重信
  • 1838年(天保9年)2月16日、明治時代の政治家であり、教育者であった大隈重信が佐賀県に誕生した。

    1888年、大隈50歳のとき当時の総理である伊藤博文は、政敵でもあった大隈の外交手腕を高く評価していたため外務大臣として政府に招致した
    その在勤中右翼の爆弾による襲撃を受け、右脚を失うと共に大臣も辞職している。
  • 1898年、大隈60歳のとき自由民権運動の中心者であった板垣退助らと憲政党を結成し従来の薩長藩閥以外として初めての内閣総理大臣を拝命し、これも日本初の政党内閣を組閣した
  • その後、1907年大隈69歳のときにいったん政界を引退し早稲田大学を創立し初代総長に就任している。
    更に、大日本文明協会会長としてヨーロッパ文献の日本語翻訳事業に尽力し、また南極探検隊後援会長への就任など、精力的に文化事業に貢献している
  • 1914年(大正3年)に起きたシーメンス事件で辞職した山本権兵衛内閣の後を受けて、大隈76歳のときに総理に就任し2度目の内閣を組織した。
    しかし、内外にさまざまな事件等の影響もあり、1916年10月に内閣は総辞職し、大隈も政界を完全に引退する

    大隈の退任時の年齢は満78歳6か月で、これは現在においても歴代総理大臣中、最高齢の記録となっている。
  • 1922年1月10日に早稲田で死去する。1月17日に日比谷公園で国民葬」が催された。この式には約30万人という未曽有の一般市民が参列
    会場だけでなく沿道にも多数の市民が並んで大隈との別れを惜しんだという
  • 早稲田大学の総長時代に、大隈は自らの体験をもとに学生にこう語ったという
    • 諸君は必ず失敗する。失敗の中に多くの経験を得、その経験によって更なる成功を期すことができる、と。
  • 早稲田大学の言論部はつとに有名であり、早稲田出身の政治家も多く輩出している。創立者・大隈重信の不屈の雄弁家の後継であろうか
    創立者の精神と振舞は、未来永遠に学生の質と社会での活躍の姿を決定づけるものと言われている



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